数字の単位にみる哲学

数字の単位にみる哲学

近年、パソコンは1家に1台どころか、2台、3台、それ以上にあるのも普通になってきています。

そのパソコンですが、たった数年前まではメモリが256MBかそれ以下だったものの、今では家庭機でも8GBにまで進化しています。

メモリと言われても今イチ意味が分からないという方もいらっしゃるかと思いますが、ここでは30倍くらい処理の負担が増えた、とだけ思って下されば結構です。

一般の方がパソコンでする事はインターネットを見たり、簡単な写真編集をするくらいの処理だとはおもいますが、それでも256MBでは全然足らないのです。

この様に数字の使い方は、まさに桁違いに変化しています。

さて、世の中にはどんな桁があるかご存知ですか?

億(おく)、兆(ちょう)、京(きょう)、垓(がい)くらいまでは聞いた事もあると思いますが、この後12個も単位が存在します。

最も高い数字は無量大数(むりょうたいすう)というもの。

その手前は不可思議(ふかしぎ)です。もはや単位と言い難い様な呼び名です。

逆に、一以下の方向にも23個の単位が存在します。

野球などで何割何分何厘という言い方をするので馴染み深いかと思います。

その下は毛(もう)、さらに下は糸(し)となります。

毛より糸の方が小さい、という具合でしょうか。こんなものを数字の単位にした先人のセンスの良さが伺えます。

そこまではいいとしても、それから先に行くと、やはりここもまた仏教思想から来ている様な、単位と思えない凄いものが現れます。

まず刹那(せつな)です。格好良すぎます。

最後から四つ目が虚(きょ)、三つ目が空(くう)、二つ目が清(せい)、そしてさえある最も小さい単位、これが浄(じょう)です。

ご存知宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」という作品がありますが、「蒼き清浄の地」というワードが登場します。これは、最小の二つの単位を意識したものなのでしょうか? いや、単に清浄機などに使う清浄でしょうか? その答えは分かりませんが、妙に惹かれます。

よく科学と哲学は対局にあると言われますが、科学は突き詰めると哲学になるとも言われます。

机上ではいくらでも計算出来ますが、実際には未知の世界でもあり、人間の到達出来ない観念へと導かれます。

こうした事が意図して不可思議や刹那などとなったのかもしれません。

しかし、気が遠くなりますね。

気遣いができる友人

友人とラーメン屋さんに行った時のことです。

昼時ということもあり、お店はごった返していました。私と友人2人が座るスペースはあったのですが、明らかに店員さんの対応が追いつかないといった状況でした。

「空いてるお席に座ってお待ちください」

という店員さんに言われるがまま、私たちはカウンター席につきました。

「すいませーん! 餃子が来てないんですけど!」

「あのー、水もらえませんか!」

といったお客さんの不満声が聞こえてきました。

「はい! 少々お待ちください!」

店員のお姉さんは丁寧に受け答えるも、料理を運んだり会計をしたりと大忙しで、全然対応できない状態でした。

「こんなピーク時に接客が1人だなんて無茶苦茶だなぁ」私はそう思い、店員のお姉さんに同情しつつ、勝手な不満を漏らすお客さんの観察をしていました。「状況を考えなさいよ」といった思いを持ちながら。

すると、友人はすっと立ち上がり、店員さんのお姉さんのところに向かい何か一言かけ、水が入ったボトルを3つ持って帰ってきました。1つは自分達のところに、後の2つは先ほど水が無いと不満を漏らしていたお客さんのところにおいてきました。

「水くらい自分で取りにいけるのにね」

と言い、彼は笑いました。

そう思ったとしても、なかなか行動に移せるという人はいません。それを躊躇無く行なう彼は本当に素晴らしい人だと思いました。

「だって、店員さん忙しそうだもん。可哀そうだもん」

私が感心しましたと伝えると彼は自慢することも照れることも無く、普通にそう答えました。もうかっこよかったですね!

注文した料理が運ばれてきた際、先ほどのお姉さんが「先ほどはありがとうございました!」と感謝を伝えていました。サービスで餃子をつけてもくれました。優しい人は特もするもんです(笑)

彼はいつもそんな感じで気遣いを持った行動をする人です。若い頃はかなり苦労してきたらしく、そのため他人の苦労がしっかりと分かる優しい性格になることが出来たのでしょう。本当に立派な人です。

かたや忙しい雰囲気に対してしかめっ面で不満を漏らす人もいれば、彼のように優しい気遣いを持って店員さんを助ける人もいます。一体どっちが好かれるかといったら、間違いなく彼のような人間ですよね。

私が異性だったら間違いなく惚れてますね(笑)