サバイバーの要素。

サバイバーの要素。

よく無人島に一つもって行ける物があるとしたら何がいいか?という質問があります。

皆さんもどこかでこうした質問を受けた事があるのではないでしょうか?

でもその質問を考える時、私はちょっと引っ掛かるものがありました。

それが何かを考えていたら、質問上の具体的な条件が「無人」の「島」という説明しかない事だと思いました。

この質問には実は裏設定があり、水や食料には最低限困らないといった条件の上で成り立っています。

大抵の人は、そんな頻繁に雨が降る場所なのかも分からないのに、飲み水の確保は出来ると思い込んでいるのです。

もし水は海水しかないと言われたら、水のろ過装置などを持って行くと言う人が増える筈です。しかしそんな条件に関して何も説明しないままだと、「本」だとか「携帯電話」だとかを挙げる人がかなりいます。

それは最早無人島ではなく、誰も住んでおらず家具も何もない家に行くとしたら、という条件と何ら変わりません。

水どころか電気だってある設定に拡大解釈されていきます。

要するに、暇つぶしが出来ればいいのです。

では本当に持っていくべきは何なのでしょう?

私はサバイバルには全く疎いので、経験から語る事は何も出来ません。

ですが、知恵さえあれば、水のろ過装置を自分で作る事だって出来ますし、石を砕いてナイフに加工する事だって可能でしょう。

そこでまず考える必要があるのは、このサバイバル生活の果てに何を求めるか、だと思います。

地球は核戦争等によって住む場所が失われ、綺麗な場所はこの無人島だけ、というのなら別ですが、普通なら目的は脱出になりませんか?

まず生きる事は必須ですが、生きる事自体が目的ではなく、より良い暮らしを求めるのが当然かと思います。

それは現代において、文明の発達した暮らしに舞い戻るという事です。

その為に必要なものが何かと問われれば、屈強な身体か、生きのびる為の知識と知恵、という事になります。

これは「一つだけ持って行くモノ」という質問に対し、少々ズルい回答の様にも思われるかもしれません。

ですが、それ以上に適したものを私には想像できません。

是非、無人島にいかなければならない事が起きる前に、勉強をしてスポーツをして、サバイバル能力を鍛えておく事がオススメでしょう!

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偽善でも善は善ではないでしょうか?

偽善という言葉を聞いて悪いイメージを持ちますか? おそらく持ってしまうという人が大多数という気がします。実際にその言葉が使われているところを想像すると、良い場面というのはあまりありませんから。

偽善は書いて字のごとく、偽った善です。一見して善の行いであっても、その裏には自分の利益が関わっていたりして、結果得をするという意味です。例えば、彼女と買い物に行くとしましょう。レジで受け取ったおつりを募金箱に入れたら「あぁ、いい人だなぁ」と

彼女に好感を抱かせることができるでしょう。それを狙って募金をしたら偽善となります。

こういった偽善は、良くないという風潮があります。嘘をついてまで得をしようという心がけが汚いと思われてしまうからです。しかしちょっと待ってくださいよ。よく考えてください。偽善によって募金したとしても、募金には違いありません。そのお金によって発展途上国の貧しい子ども達が救われたり、環境破壊を食い止める目的の自然保護にしっかりと役立ちます。

つまり、偽善でも、善は善なのです。

偽善を悪くイメージする方は偽善の“善”よりも“偽”というマイナス面ばかりにスポットを当てすぎているのではないでしょうか? これは少々ひねた考えです。たとえ偽善によって行なわれた善であったとしても、何もしない人よりは良い行いをしているといえるのではないでしょうか。

偽善行為は日常生活においてたくさん存在します。気遣いなんかでもそうですね。相手を心から喜ばせたいという気持ちから行なわれる気遣いや、それによって自分を良く見せたいという思いから行なわれる気遣いの二つがあります。このうち後者が偽善にあたります。

ですがこれもやはり、偽善でも気遣いには変わりありません。偽善だから気遣わないという人よりもましだとは思いませんか?

それに、偽善を続けていればいつしか、心が変わるものだと私は考えています。人間の行動は習慣となり、性格になります。例えことのはじまりは偽善であっても、それが性格となれば、やがてそれは偽善では無くなり、本当の善になると思うのです。

もし自分が、偽善という言葉にひっかかって何か事を起こせないのであれば「自分は偽善者だ」という認めてしまいましょう。そしてどんどん偽善を行なってよいと思います。もちろん、誰かを傷つけ貶めてまで行なう偽善はいけませんけれども。

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